①出会い!ポレポレ東中野篇

璃子マネが高山選手と初めてお会いしたのは割と最近の事です。映画「スーパーミキンコリニスタ」がポレポレ東中野で上映される事が決まり、予告編が流れたのを観て初めて高山選手の存在を知りました。私にとって予告編というのは、本編が長編小説だとしたら、詩に近いイメージで、本編と同じくらい敬意を持っています。だから、スパミの予告編を観た時に「これは名作に違いない」と確信しました。同時に、メインビジュアルにデカデカと載った高山選手の顔は、老若男女問わずみんなから愛されるルックスだと感じました。現に広島ではいままさに「うちの子」感のイメージが強いのではないでしょうか。




当時は別作品の配給のお手伝いをしていたので(以降、別作品)、そちらのTwitterアカウントでそれらについて呟いたところ、スパミ監督の草場尚也監督からお返事をいただいたり、シネマ尾道支配人の河本さんがテレビの特集で取り上げられた際、スパミと、別作品のビジュアルが偶然映り込んだりして、なんとなくご縁を感じたのでした。



そして、まだスパミが公開される少し前、別作品の横浜シネマリン劇場での映画上映と舞台挨拶に立ち合っていたところ、草場尚也監督がわざわざ観に来てくれて、声を掛けてくれたのです。そこでポレポレ東中野での上映楽しみにしてる件と、その後の上映予定を聞いたところ、ポレポレ東中野以外では何も決めていない、という事でした。



そんな勿体ないこと言わず、他でもやればいいじゃないですか、とお話ししていたところに丁度、横浜シネマリンの八幡支配人がそばにいたので「シネマリンでやってください!」とお願いしてみたのです。



後日、八幡支配人が快く快諾くださったのです。(当時の八幡支配人「藤本さんがあれよあれよいう間に話を詰めていくのでなんだかやらないといけないような気がして、、、、」)



それから程なくしてスパミがポレポレ東中野で公開となりました。斎藤工さんが舞台挨拶に来たりと凄い熱狂だったので、熱が治まるのを待っていたんですが治らず、混んでるけどもういいやと思って観に行きました。



スパミを初めて観た時は、素直にエンパワーを受けました。ミキンコリニスタのしぶとさは、当時の自分を肯定してくた気がしました。そしてきっとこれはどんな人にとっても当てはまるのではないかな。そう思いました。



舞台挨拶で初めて高山璃子本人を見ました。凄く真面目で作品に対して誠実な向き合い方をされている方、という印象。映画の中のミキンコリニスタの良い所だけを抽出したら高山璃子になるな、と感じたのを憶えています。



ただその頃は、高山選手と会話したい気持ち等は全くありませんでした。私はあくまで裏方。変な言い方ですが、俳優さんに話しかけていいポジションではないと思っていました。草場監督にはなんか気軽に声かけていいような気がしていました。なぜ。。。



作品自体が大好きで、上映期間中に何度も観に行きました。上映後に記念写真を撮られてる皆さんのシャッター押す係をしたり、誰なんだかよく分からないがよくいる人的な立場としてかろうじて空気ではない存在としてその場にいるようにしていました。



ドキュメンタリー映画「蟹の惑星」で村上監督も仰っていた事をみんな感じていたと思います。「この作品の続きは現実世界でやるんだ」と。この作品はドラマであり、ドキュメンタリーでもあるんのですよね。なので、ちょこちょことその頃からスマホレベルですが映像を撮り溜めていたんです。自分が配給のお手伝いをさせていただく事についても、高山璃子のドキュメンタリーに着目して進めようと思っていたのです。ここまで書いてみて、まだ高山選手と会話してないですね(笑)

ポレポレ東中野最終日(髪長かったのが懐かしいです)


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4月下旬、ついに撮影が行われました。なんやかんやでしぶとい作品です。都内で行われた撮影は、予定通りに終了しました。俳優というのは凄いですね、というか高山璃子は凄いと素人目にも分かる数日間でした。ONとOFFの表情が本当に全く違います。人の表情や雰囲気ってある程度離れていると分からないものですが、高山選手の場合は離れていてもその表情の変化が伝わってくるのです。「これが本物か」と心から思った瞬間でした

このブログを読んでいる皆さまはご存じかと思うのですが、タイトル名が変更になりました。当初は「君の宇宙」だったのですが、現在は「黄色いくちばし」というタイトルです。しかしこれも仮ですので、また変更になるのかもしれません。 「準備」といっても撮影組がどのような準備をしているのかは全く分からないのですが、当時マネージャー陣は広島と東京で高山璃子ドキュメンタリーを撮影していました。当初の予定だとドキュメン

広島に高山璃子を2週間放り込めばいいことがある。はっきり言ってマネージャーとして私が機能したのはこれが最初で最後だったと思います。もう、広島に入ってからは高山選手が次から次へとチャンスを掴み取っていくのです。 シネマ尾道から広島市に帰ると、ラジオ出演が控えていました。なんだかさらっとそういう事があるようになっていたのです。それには理由がありまして、呉ポポロシアターから遡ること2か月。横川シネマでの